カルチュラル・ニュース 2007年10月号 日本語要約
◎邦楽の伝統と西洋音楽の歌唱法を融合させた大和楽 (1、4ページ)
「大和楽」は、江戸時代から続く、伝統的な三味線音楽に、西洋音楽の発声法や和声、輪唱、ハミングなどの演奏法を採り入れて、昭和8年(1933年)、当時の日本の財界の大物、大倉喜七郎男爵によって作り出された。大倉喜七郎は、大倉財閥のオーナーであり、今日も続くホテル・オークラの創設者。
ヨーロッパ文化にも詳しかった大倉喜七郎は、西洋にも通じる日本の音楽を作り出そうとした。創設時には、大倉喜七郎(聴松)と岸上きみを中心に、團伊玖磨、藤原義江、原信子ら洋楽畑の音楽家も参加し、鑑賞のための大和楽が多く作られた。
やがて、舞踊家、西川鯉三郎、尾上菊之丞、吾妻徳穂らによって大和楽が盛んに取り上げられるようになり、舞踊界との結び付きが強くなった。
この頃の作詞陣には、長田幹彦、笹川臨風、西条八十、長谷川時雨、北原白秋といった錚々たる顔触れが迎えられ、作曲では、稀に見る美声と音楽的才能の持ち主であった岸上きみ、三味線の宮川寿朗(清元栄寿郎・人間国宝)が大活躍した。さらに、杵屋佐吉の門で唄い手として抜きん出ていた三島儷子(後の大和美世葵)が招かれ、大和楽は発展した。
昭和40年代の前半(1965年から1969年)は、大倉、岸上、宮川の中心者が相次いで亡くなり、唄方、三島儷子が孤軍奮闘した。作品もいくつかは生まれたが、演奏の中心となる立(たて)三味線が不在の期間だった。
「月慈童」(駒井義之作詞・芳村伊十七作曲)が縁となり、長唄三味線の名手、芳村伊十七(よしむら・いそしち・後の大和久満)が大和楽の立三味線として招かれる。昭和44年(1969年)、流儀運営のため大和流が復活。昭和51年(1976年)には、初代家元・大和美世葵(みよき・三島儷子)が誕生した。理事長に大和久満が就任し、理事に大和三千世(みちよ)・大和秀(ひで)といった両ベテランを加え、大和楽陣容が整った。この時期には、特に舞踊曲としての大和楽が発展した。
昭和62年(1987年)初代家元、美世蒼の死去で、大和久満が二代目家元となり、唄方では大和三千世、大和礼子、大和左京らが中心に活躍するようになる。またこのころからは、大和久満が専属のコロムビア・レコードより、レコード・カセットテープ・CDが発売しされ、全国的に大和楽が広まるようになった。
アメリカでは初めての大和楽コンサートが、2008年1月5日午後7時から、トーレンスのアームストロング劇場で、文化庁の後援で、行われる。チケットは、一般35ドル、学生とシニアは20ドル。
出演者 唄:大和左京、大和礼子、大和三千壽、大和久萌。三味線:家元・大和久満、大和櫻笙、大和久涛、大和久織。鳴物:堅田新十郎、堅田喜三郎、堅田昌宏、藤舎推峰。筝:二代目・米川敏子。舞踊:若柳久三、坂東三津拡会
曲目(第一部)舞踊、「梅」「三十石の夜舟」「お祭」「鶴」(第二部)「江戸風流」「雪の降る街を」(8ページに広告を掲載)
◎ロサンゼルスの文楽公演、10月18-20日(1ページ)
国立文楽劇場(大阪市)の20年ぶりの文楽公演が、10月18日から20日まで、ロサンゼルスのアラタニ日米劇場で行われる。演目は、「伊達娘恋緋鹿子」(だてむすめ・こいの・ひがのこ)-火の見櫓の段-、「壷坂観音霊験記」(つぼさか・かんのん・れいげんき)-沢一内より山の段-のふたつ。文楽協会の技芸員26人が参加。
◎ニューオータニ・ホテルとリトル東京(パート1) 再開発の先駆者だった鹿島建設(2、5、6ページ)
1977年10月にオープンし、日本文化の象徴的存在だった、リトル東京のニューオータニ・ホテルが、売却された。ニューオータニ・ホテルのビルを所有するイースト・ウエスト・ディベロプメント社によれば、ホテル・ビルと隣接のウエラー・コート・ショッピング・センターは、ビバリーヒルズに本社を置く3Dインベストメント社に売却された。
このホテル・ビルをニューオータニ・ホテルが運営する契約は、11月末で期限切れになり、以後は、新しい会社がホテル経営を行い、名称も、新しくなる。
ニューオータニ売却のウワサが流れ始めた8月後半から、ロサンゼルスの日系人社会では、日本文化の象徴であるニューオータニ・ホテルうを失うことに、反発の声が上がっていた。カルチュラル・ニュースは、ニューオータニ・ホテルの設計者で、リトル東京の再開発に50年近く年月、関係してきた建築家の高瀬隼彦氏に、ニューオータニ・ホテル建設の経緯を聞いた。リトル東京再開発の歴史を振り返ることで、ニューオータニ問題を冷静に討議することを期待するからである。
東京生まれの高瀬氏は、今年77歳、東京大学の建築学科を卒業した後、ハーバード大学で建築修士号を得て、ニューヨーク・ワールド・トレード・センターの設計で有名な建築家ミノル・ヤマザキのデトロイトの事務所で研修し、その後、ニューヨークの建築事務所で働いた後、1960年代、日本に帰国、鹿島建設の設計部に入社する。
高瀬氏がロサンゼルスにやってきたのは、1964年で、リトル東京再開発のさきがけとなる「鹿島ビル」を設計・施工するためだった。鹿島ビルは1967年に完成している。
リトル東京に、ニューオータニホテルが出現したのは、第二次大戦後、スラム化していたリトル東京を復興させようという再開発計画は発端だった。当時、ロサンゼルス市役所が、庁舎の増築の必要に迫られており、ほっておくと、リトル東京がなくなってしまうという危機があった。ユニオン教会のハワード鳥海牧師が中心となり、「リトル東京再発協会」が組織された。当時、日本の鹿島建設の会長だった鹿島守之助氏は外交官だったこともある異色の経営者で、日本国総領事館と加州住友銀行をキーテナントとした鹿島ビルを建てることができたのも、鹿島守之助氏の力が大きい。
鹿島ビルの建設がスタートとなった、リトル東京の再開発は、その後、地域再開発局(CRA)という行政機関が中心となって進められて行くことになる。1970年には、リトル東京の7ブロック、67エーカーが、再開発計画の指定を受け、マスタープランが決定される。そのマスタープランの中に、約400室の一流ホテルを建設する、という計画が盛り込まれた。
ところが、ホテル建設予定地になっていた場所には、日系商工会議所や日本文化の団体が入ったサン・ビルがあり、立ち退きにあたり、大きな反対運動が巻き上がった。そのサン・ビルのテナントを収容するために、まず先に、日米文化会館とジャパニーズ・ビレッジ・プラザ・ショッピング・センターが建設された。
鹿島建設は、ホテル・ビル建設事業を進めるために、他30社を募り、ホテル・ビルの建設・運営会社、イースト・ウエスト・ディベロプメント社を組織し、CRAから事業者としての指名を受けた。このとき、ホテルの設計の責任者だったのが高瀬氏で、市役所に届け出る「担当建築士」の名義も、高瀬氏の名前が使われている。
ニューオータニ・ホテルは、21階建てで、434室の客室ホテルとして1977年に完成した。畳を使った日本式の部屋が3カ所作られている。ニューオータニ・ホテルの大きな特徴は、3階の屋上に作られた日本庭園である。東京のホテル・ニューオータニは、400年の歴史をもつ日本庭園があることで知られており、ロサンゼルスのニューオータニにも、その日本庭園を再現しようとしたのだ。また、本格的は日本料理を提供する「千羽鶴」レストランが、日本庭園を見渡せる場所に造られた。
当初、3階の屋上には、ロサンゼルスのホテルに必ずあるプールが作られる予定だったが、鹿島建設のアイディアで、日本庭園を造ることになった。また、一番最初にホテル事業者として名前があがったのは、プリンス・ホテルだった。
ニューオータニ・ホテルと、その後建設された隣接のウエラー・コート・ショッピング・センターでは、「お正月in リトル東京」や「二世ウィーク」関連の行事など、さまざまな、日系社会のイベントが行われてきた。ひな祭人形や端午の節句の兜の展示など、ニューオータニ独自の日本文化展示も、毎年、行われていた。ニューオータニの撤退は、ロサンゼルスの地元のひとにとっては、思ってもみなかったことだった。
◎究極の伝統芸能の組み合わせ、新内と車人形劇のハンフォード公演(2、3ページ)
新内は、18世紀半ばに生まれた歌曲のひとつだが、歌舞伎の伴奏に使われる長唄や、文楽人形劇の中心となる浄瑠璃のように、他の芸能と一緒に、演奏されることがなかった。八王子車人形は、東京・八王子に伝わる人形劇で、文楽の3人で1体の人形を使う技法を、1人でも使えるようにしたもので、車の付いた小さな箱の上に、人形遣いが座り、全身を使って人形を操る。この車人形と
人間国宝の新内家元、11代目敦賀若狭掾(つるが・わかさのじょう)が共演し、「雪」「弥次喜多」が、10月14日、カリフォルニア中部の農業地帯、ハンフォードで公演される。
◎仏教伝道協会のテレビ番組、毎週日曜日、午後6時30分から(2ページ)
仏教伝道協会のテレビ番組「仏教徒の生き方」シリーズでは、10月7日は、高野山米国別院の旭清澄師の精進料理講習の第3回目を放送する。10月14日は、仏教徒の実業家紹介で、和菓子製造販売の「三河屋」の社長、フランシス橋本さんを紹介する。仏教の教えを受けて育ったことが、事業家としての基盤になっていることを紹介する。10月21日と28日は、高齢者を対象とした保険会社ブラボー・ヘルスの経営者ジェフ・フォリックさんの、事業における仏教の実践を紹介する。テレビ番組は、チャンネル44で放送。
◎仏教レクチャーと仏教から生まれた日本の習慣(2ページ)
パシフィック・アジア美術館、10月14日、午後2時、講演「ベランダ-間の世界、仏教僧侶
の生き方」高野山僧侶で、日米文化会館芸術部長を務める小阪博一師の話。(英文の禅宗の僧侶というには、間違い)
七五三の由来 11月15日かその日に近い日曜日に、日本で行われている子供の祝い。男の子は、3歳と5歳、女の子は、3歳と7歳になったことを、神社や寺院に行って、祝う習慣。起源は、平安時代(8世紀から12世紀)まで、さかのぼるとされている。平安時代、男の子は、5歳で袴をはきはじめ、女の子は、7歳から着物をきるときに、紐から帯を使うようになった。
◎明治時代に、知的障害者の教育に生涯をかけた貴族女性を描いた映画の上映会、11月18日(3ページ)
明治時代の貴族女性の生き方を描いた映画を見て感動を受けた市民グループが、ロサンゼルスで上映運動を始めている。自ら知的障害者を生んだため、知的障害者の教育に一生をささげることになった明治の貴族婦人、石井筆子の生涯を描いた映画「筆子その愛―天使のピアノ」(山田火砂子監督)が、11月18日、ロサンゼルス・リトル東京のアラタニ日米劇場で、午後1時と午後4時30分の2回上映される。チケットは15ドル。日本から山田監督がかけつけ、上映会の間で、舞台挨拶をする。
◎パサデナのスキン・フェスティバルに、秀明太鼓が参加、10月14日(3ページ)
パサデナ市内の美術館が共同開催する「アート・アンド・アイディア2007年パサデナ・フェスティバル・オブ・スキン」の一環として、秀明芸術協議会は、「皮の怒涛、皮のつぶやき」と題した、太鼓コンサートを10月14日。午後3時30分からパサデナの秀明ホールで行う。無料。出演は、著名な太鼓プレーヤー中村コウジ、尺八がマルコ・ラインハード。中村とラインハードは、元鬼太鼓座のメンバー
◎日本庭園で菊の展示、10月27-28日、11月3-4日(3ページ)
カリフォルニア州立大学ロングビーチ校日本庭園、10月27-28日、午前10時から午後5時。菊の展示。入場料は7ドル。
ディスカンソー・ガーデン日本庭園、11月3-4日、午前9時から午後4時。日本庭園フェスティバルのイベントが行われる。菊の展示、品評会、草月流にいけばなの展示、藤間勘須磨会により日本舞踊、太鼓演奏、お茶のお手前など。
◎オーロラ日本語奨学金の募金コンサート、10月28日(3ページ)
アメリカ人の日本語教師を応援するオーロラ日本語奨学金の募金コンサートが10月28日午後6時から、トーレンスのエルカミノ大学内マーシー講堂で行われる。募金コンサートは、恒例行事で、今年は、ゴスペラーズが出演する。
◎相撲の歴史:土俵 (4ページ)
◎草月流ロサンゼルス支部の秋の展示会、10月13、14日(4ページ)
草月流ロサンゼルス支部の恒例の秋の展示会が、10月13、14日、午前10時から午後5時まで、リトル東京の全米日系人博物館のアラタニ・ホールで行われる。草月ロサンゼルス支部の会員は、約80人。
◎ロサンゼルス・カウンティー美術館、2007年9月から2008年2月の展示(4ページ)
ロサンゼルス・カウンティー美術館の日本パビリオンの展示が9月6日から新しくなった。根付展示コーナーは、「町の生活」をテーマにした展示を行っている。写真は、藤娘を型どった根付。
◎クラーク・センター日本美術研究所で能をテーマにした展示、12月1日まで(4、6ページ)
カリフォルニア州中部のハンフォードにあるクラーク・センター日本美術研究所で、9月から始まっている秋の展示は、能がテーマ。能装束、能面など、能に使われる道具と能をテーマにした日本画や浮世絵の展示。展示の第1部は、最後の琳派といわれる神坂雪佳と浮世絵師、月岡耕漁の能舞台を描いた作品が並べてある。
◎神浦元彰の日本レポート・アメリカが日本にインド洋での給油活動を求める本当の理由(6ページ)
(軍事アナリスト神浦元彰がカルチュラル・ニュースのために特別寄稿した記事を、東京在住の翻訳家アラン・グリーソンが英訳しました。)
安倍首相は、9月12日、突然辞任を発表したが、そのときに挙げた一番の理由は、インド洋での海上自衛隊(海自)の補給活動を認める「テロ対策特別措置法」(テロ特措法)の延長ができない、ということだった。この日、アラビア海の北部では海自の補給艦「ときわ」が778回目の給油をパキスタン海軍の駆逐艦に行っていた。アフガンからアルカイダなどのテロリストが逃亡したり、逆にアフガンに武器や弾薬を運び込ませないために、アフガン戦争が始まった01年12月から、インド洋で海自による多国籍軍への洋上給油が始まった。
日本の小泉首相(当時)はアメリカのアフガン戦争を支持すると表明し、給油のための輸送艦と護衛の駆逐艦の派遣を決めた。そのことを法律化したのがテロ特措法である。このテロ特措法は、11月1日で3回目の期限が切れる。海自の給油活動を続けるためには、テロ特措法の4回目の延長決議を国会で行わなければならない。
しかし、今年7月の選挙で大勝した民主党代表の小沢一郎氏は、テロ特措法の延長に反対することを表明しアフガン戦争は、アメリが、国連の制裁決議を求めず、独自に始めた戦争だからである。自衛隊の海外派遣は、国連の安保理決議がなければ、できない、というのが、小沢氏の主張である。また、インド洋の洋上給油はアフガンのテロリスト制圧のためではなく、イラク戦争のために使われているという疑惑が指摘されている。実際の給油活動について、外務省や防衛省はこれを軍事秘密として、国会に対しても情報の公開や説明を拒んできた。
しかしアメリカが、日本に給油の延長を求める本当の理由は他にある。多国籍軍の中にパキスタン海軍がいることが、本当の理由なのだ。パキスタン海軍の艦船に米海軍の補給艦から給油すれば、イスラム国であるパキスタンでの反米意識を強く刺激し、現在のムジャラフ大統領(親米政権)はもたない、と言われている。そこで日本に給油を代行させたいのだ。
安倍首相辞任の混乱で、テロ特措法の延長は不可能になった。11月に入れば、海自はインド洋から撤収しなければならない。その後、海自のインド洋での給油活動が再開されるか、どうかは、新首相が選ばれた国会での論議にかかっている。(神浦元彰のウエッブサイトは毎日、更新中: www.kamiura.com)
